環境教室「里山と私たちの暮らし」開かれる

東京都の第1号の里山保全地域に指定されたあきる野市横沢入地区で保全活動に取り組む水野さんが、現場からの報告をしました。
東京都の第1号の里山保全地域に指定されたあきる野市横沢入地区で保全活動に取り組む水野さんが、現場からの報告をしました。

各地で保全活動が活発になってきた里山について学ぶ環境教室「里山と私たちの暮らし」が、2006年10月15日に、東京・新橋にある港区立生涯学習センターばるーんで開かれました。

 

港区では、あきる野市の里山を訪問して保全活動を体験するなど、里山関連の活動が多角的に始まっています。この学習教室もその一環で、翌月に開かれる港区のエコツアーの参加予定者や、環境を学ぶ学生、、そして里山保全を勉強する市民団体の方まで、20人近くが集いました。

講師となったのは、東京農業大学客員教授の守山弘さん、あきる野市の市民団体「エコボックス9」の水野克郎さん、それに新潟県で棚田の風景を追い続けている写真家の野沢恒雄さん。

講師の東京農業大学客員教授の守山弘先生は、里山保全の意義を科学的に説明してくれました。
講師の東京農業大学客員教授の守山弘先生は、里山保全の意義を科学的に説明してくれました。

最初に守山さんが「里山を科学する」というテーマで講演。里山の適切な保存が、生物多様性の保護や伝統的文化の保護につながることを解説しました。

守山さんは、里山という呼び名の歴史は意外と浅く、「谷津田」とそれを取り巻く林などを「里山」と呼ぶようになったのは、昭和30年頃からだと説明。その以前から農用林として、農業を中心とした人々の生活に森や林は欠かせない存在であり、その存在によって多様な生態系が守られてきたと、人と森が密接に関係してきた経緯を述べました。

実際に、あきる野市で開発から取り残された里山「横沢入」で保全活動に取り組んでいる水野さんが、現地での保全計画を話しました。
水野さんは、横沢入に関わる言葉として、「里山」「石切り場」「戦争(防空壕)」の3つを上げました。もともとは谷津田を中心とした里山であった場所が、宅地開発の対象とされたあと、バブル崩壊などで放置され、それを東京都が買い上げ「里山保全地域」に指定した経緯を説明。同時に、現地には戦時中の防空壕などの構造物が今もあちこちに残っており、それ以前からの石切り場の跡地などをあわせ、歴史的背景を持っていることも、写真とともに解説しました。

最後に野沢さんの里山のスライドショーが行われました。新潟県・三和村の谷内池という池周辺を数年掛けて採りためた四季の里山の光景はすばらしく、都心に居ながらにして、とびっきりの光景を堪能することが出来ました。