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あぜ一面の草をカマで刈り取り

東京や千葉から来た参加者6人が、カマを使った草刈りやあぜ豆植えなどを体験しました。
2010年度の休日農業講座「田んぼのイロハ」草刈りの講座が、7月3−4日に開かれました。東京や千葉からの社会人、学生、家族連れなど6人が、カマを使ったあぜの草刈りを体験した他、集落内散策、ホタル鑑賞などを行いました。

初日は、地元の笛木晶さんを講師に、散策と座学を実施。棚田で田んぼの生きものを観察した後、昨年草刈りの際に作った堆肥を見学しました。参加者は、途中で道端の桑の実を食べ、モリアオガエルの卵やイトトンボを見るなどして、自然とふれあいながら散策していました。
座学では、堆肥やあぜ豆について、昔の暮らしの様子と合わせて説明がありました。あぜ豆の話から、手づくりみその仕込み方も話題になっていました。
夕食後、地元の笛木健作さんが案内をしてくれ、水路沿いや沢沿いの農道で、ホタルが飛ぶ様子を眺めました。多い場所で10匹ほどのホタルが飛んでいました。

「刃に対して砥石を45度に傾けて研ぐのがポイント」と地元の桑原一男さん。
「刃に対して砥石を45度に傾けて研ぐのがポイント」と地元の桑原一男さん。

2日目は、参加者は小雨の中でのあぜの草刈りに挑戦しました。
作業には地元の笛木晶さん、桑原一男さん・信子さん、笛木久稔さんが加わり、カマの研ぎ方、草の刈り方を教えてくれました。参加者は自分で研いだカマを持ち、カマでたたくようにしながら草を刈りました。草刈りの間中、一男さんはカマを研ぎ続け、刈りにくそうにしている参加者のカマと研いだカマを交換していました。一男さんからカマを受け取った参加者は、その切れ味の違いにおどろいていました。幅3メートルほど、長さ80メートルほどのあぜの草を、2時間足らずで刈り終えました。
刈った草は、堆肥にするために集め、縦180センチ横90センチの木枠につめ込み、ぎゅうぎゅうに踏み固めました。木枠から数センチはみ出て、60センチほどの高さになりました。
草を刈り終えたあぜには、大豆の苗を2本ずつ、30センチほどの間隔をあけて植えました。根元には、もみがらを炭にした「くん炭」をかけました。くん炭には微生物が集まりやすく、植物の生長をよくするのだそうです。この大豆は、11月に収穫を予定しています。

あぜには様々な種類の植物が生えていました。「いいフキがあったから」と、地元の人は、参加者にフキを取ってあげていました。
あぜには様々な種類の植物が生えていました。「いいフキがあったから」と、地元の人は、参加者にフキを取ってあげていました。

参加者のふりかえりでは、「あぜ豆から味噌を作った話などから、昔から自給してきた様子が分かった」「小さなカエルがたくさんいて、前回に大量にいたオタマジャクシがカエルになったことが想像できた」「始めはカマでの草刈りは大変だと思ったけれど、人数がいると楽しくできると思った」などのコメントがありました。

あぜの草刈りは稲を虫の害から守るための作業

2009年7月4日の田んぼのイロハでは、地元の笛木健作さんが講師となった座学が行われました。以下が座学の主な内容です
▼あぜの草刈りは、稲を虫の害から守るための作業
稲の害虫には、バッタの仲間のイナゴ、ガの仲間のニカメイガ、カメムシの仲間のウンカやヨコバイ、カメムシなどがいる。
ガから稲を守るために、昔は「誘蛾灯」という明かりをつけ、ガをおびき寄せていた。
カメムシは、若い籾や茎の汁を吸う。柔らかい稲を好む。穂肥えに使うチッ素が稲をやわらかくするので、チッ素過剰になった田んぼに多く出る。

除草剤をまくと、とても柔らかい土になり、あぜが壊れてしまう。結局自分の首をしめることになるので、除草剤は使わずに刈り取っている。

パノラマ農産では、肥料にはコメヌカを使っている。有機肥料を使って栽培すると、イトミミズなどが出てきて田んぼがビオトープ化される。カエルやクモが棲めば、虫を食べてくれる。「天敵」を利用して虫を駆除できる。化学肥料だとアスパラギン酸が発生し、これもカメムシの好物となる。
また、本で見たことだが、完熟していない有機肥料を使うとチッ素過剰になるそうだ。チッ素過剰になれば、カメムシが好む柔らかい稲になってしまうので、完熟した肥料を使うことも大事なようだ。
パノラマ農産は設立して2年。どんな肥料をいつまくのかを探りながらやっているところだ。

▼時期に合わせた畦畔(けいはん)除草が大事
草刈りは年中していればいいというものではない。稲の胚乳(はいにゅう)が濃い乳状をしている「乳熟期」にカメムシにつかれると、お米に黒い点がつく「斑点米」になってしまう。
乳熟期になってから、あぜの草を刈ってはいけない。あぜにいたカメムシが、田んぼの稲のほうに逃げてしまう。乳熟期を迎えるお盆の頃は草刈りをしてはいけない。その前に刈っておくのが大事。収穫後も、越冬成虫を駆除するため、草は刈っておく方がいい。

▼「カマは1日3回、人に向かう」
親戚の鍛冶屋のばあちゃんがよく「カマは1日3回、人に向かう」と言っていた。ばあちゃんは、昔カマを持って歩いていたところ、転んで手首の動脈を切ったことがあったそうだ。
刃物に慣れると油断が生じる。カマといえども刃物。取り扱いには十分に注意する必要がある。

▼栃窪の昔と今
昔はどこの家も牛や馬が家族として同居していた。牛や馬が踏んだワラや糞、残飯などを1年積んでおき堆肥を作っていた。堆肥は崩すととてもあたたかく、カブトムシの幼虫がザルいっぱいに見つかった。

春、まだ雪のある3月25日頃に、田んぼの雪を掘って堆肥を入れる。一人前になった人がやる仕事で、堆肥をソリに載せて運ぶ。「すっぺ」という、ワラで編んだ靴をはき、中にスギの葉っぱと唐辛子を入れた。初めは痛いがそのうちに慣れてポカポカした。
春の陽射しは紫外線が強く、角膜や結膜が炎症を起こす「雪眼(ゆきめ)」になることがあった。

牛や馬のエサは、あぜの草だった。冬用の草は、雪のないうちに刈り取って干しておいた。ススキやヨシ、オギなどのカヤ類を干し草にした。牛や馬はクズが好物だった。
草を2束刈り、馬や牛のクラにつけて運ぶ「朝草刈り」という、茶前仕事があった。茶前仕事は朝ご飯を食べる前の仕事で、このときに食べるのが「あんぼ」だった。あんぼは「茶の子」とも呼ばれる郷土食で、未熟米を挽いて粉にしたものを使って作る。米を減らさないようにするための工夫だ。
1日仕事には「メンパ」という弁当箱にぎっしりご飯を詰めて出かけた。昔はひとりあたり年間2俵くらいの米を食べていたものだが、今は1俵くらいだろう。

栃窪には、共同の作業所に発動機で動く精米機があり、それで精米していた。家の入ったところすぐが作業場になっていて、稲上げは家の中でやっていた。
不自由の多い暮らしであったが、常に助け合っていた。当時の暮らしを続けていれば、温暖化ということはなかっただろう。

様々な仕事をしたもので、田畑の仕事のほかに、家畜の世話、養蚕業をやっていた。
どこの家でも赤い卵を産むニワトリが10羽くらいいた。春にひよこを買って来て、冬になると潰して食べた。今は飼ってもすぐイタチにとられると思う。
養蚕業は現金収入の手段だった。多くて年に4回飼う家があった。養蚕では桑の葉が必要なので、桑畑がたくさんあった。里山といえば、桑畑だった。

今、カモシカやイノシシの獸害が増えている。昔は獣との棲み分けがもっとはっきりしていた。
先日も近くの沢で、ヤギの子くらいの大きさのカモシカが死んでいた。昨年は畑でカモシカが歩いた跡を見た。カモシカは走り回るくらいで、被害もそれほどには至らない。イノシシは問題で、ヤマイモを盗られたりした。昔はイノシシはいなかったが、最近増えてきている。イノシシは雪の中でも過ごせるようだ。

林の下刈りをしなくなったので、日光が入らない暗い林ばかりになった。大雪の時に倒れた大木はそのままで、「自然」に戻っていっている。畑も、林と同じような状態だ。